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投資とは何のためにやるのか?――40歳で気づいた「不自由を避ける」という本質かも?

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moomoo証券【WEB】
  1. 導入:問いから始める
  2. 第1章:部長時代に見た恐怖
    1. 組織の中で見た、魂を売らざるを得ない人たち
    2. 彼らは無能だったのか?
    3. 判断を歪ませるのは、悪意ではなく余白のなさ
  3. 第2章:自分への問い直し
    1. では、私は何が怖いのか?
    2. もし次のうち一つだけ起きるとしたら
    3. 気づきの瞬間
    4. もう一つの気づき
  4. 第3章:投資の再定義
    1. 私にとって投資とは何か
    2. 不自由の惨めさ
    3. なぜ「余白」が必要なのか
  5. 第4章:4つの不自由を避ける投資
    1. 経済的不自由を避ける投資①:自己投資
      1. 28歳のベンチャー時代――わからない中で走る
      2. 41歳のフリーランス――わかるからこその怖さ
      3. 自己投資の本質
      4. ブログは「考える筋力」を維持する装置
      5. 人脈投資の落とし穴――浅ましい下心と詐欺の誘い
    2. 経済的不自由を避ける投資②:金融投資
      1. なぜ自己投資だけでは足りないのか?
      2. 金融投資は「時間を売らずに稼ぐ装置」
      3. ワクワクへの参加としての金融投資
      4. 積立投資と固定費の最適化
    3. 身体的不自由を避ける投資:筋トレ
    4. 知的不自由を避ける投資:読書と思考の更新
  6. 第5章:読者への問い
    1. あなたが避けたい”不自由”は何ですか?
    2. 私がやってきたことは3つだけ
      1. ① 不自由を言語化する
      2. ② その不自由を避けるための装置を持つ
      3. ③ 余白をつくる
    3. やらないと、不自由は近づいてくる
  7. 結び:投資とは、責任を守るための準備

導入:問いから始める

投資ってなんだろう?

もっと言えば、 自分にとっての投資ってなんだろう?

この問いに、私は答えられなかった。

「お金を増やすこと」 「資産を作ること」 「将来のため」

どれも正しい気がする。 でも、どれもしっくりこなかった。

なぜだろう?

考えてみると、違和感の正体が見えてきた。

投資と聞くと、多くの人は「金融商品」を思い浮かべる。 株式、投資信託、債券。

でも、それだけが投資だろうか?

お金だけが資源じゃない。

時間もある。 体力もある。 脳もある。

それらをどこに使うかも、投資ではないか?

筋トレは投資じゃないのか? 読書は投資じゃないのか? 人と会う時間は投資じゃないのか?

そう考えると、わからなくなった。

投資とは、いったい何なのか。

その答えが見えたのは、40歳の頃だった。 ある恐怖を感じた時のことだ。


第1章:部長時代に見た恐怖

組織の中で見た、魂を売らざるを得ない人たち

40歳の頃、私はある会社で部長をしていた。

組織の中で意思決定をする立場になったとき、 いくつかの判断を目にした。

露骨な悪意ではない。 むしろ誰もが「合理的」だと思うような判断だった。

でも、何かが引っかかった。

自分の失敗にならないように立ち回る判断。 リスクを引き受けず、他人に押し付ける構造。

プロジェクトの方向性を決める会議。 本来なら「ユーザーにとって何が最善か?」を議論する場で、 「誰が責任を取るか?」が最優先される。

新しい施策を提案する場面。 「成功するかどうか」ではなく、 「失敗したときに自分が傷つかないか」で判断される。


彼らは無能だったのか?

違う。

彼らは無能だったのではない。 私と同じように家族がいて、ローンがあり、子どもの学費を払わなければならない。

「余白」がないという一点において、魂を売らざるを得なかっただけだ。

食うために、嫌いな上司に頭を下げ続ける。 良心を捨てて、保身の嘘をつく。 家族のために、正しいと思わない判断に加担する。

それが、経済的余白のない人間の現実だ。

私はそれを見て、怒ったわけではない。 怖くなった。

「自分もいずれ、こうなる」


判断を歪ませるのは、悪意ではなく余白のなさ

能力の問題ではない。 人格の問題でもない。

余裕の問題だ。

経済的に余裕がなければ、組織に依存せざるを得ない。 依存は判断を歪ませる。

余裕がなければ、人は守りに入る。 守りは、少しずつ責任感を削っていく。

そして気づけば、 「ユーザーのため」ではなく「自分のため」の判断をしている。

私はそうなりたくなかった。

ユーザーやサービスにとって良い判断をしたい。 自分の判断に対しては責任を取りたい。

そのために必要なのは「正しさ」よりも「余白」だと気づいた。

経済的余白。 選択肢を持てる状態。

それがなければ、どんなに優秀な人間でも判断は歪む。 誰でも、保身に走る。 誰でも、魂を売る。

ここで、私は投資について考え始めた。

でも、まだ答えは出ていなかった。


第2章:自分への問い直し

では、私は何が怖いのか?

部長時代の恐怖から数年。

私は自分に問い続けていた。

投資とは何か? 自分にとっての投資とは?

そして、もう一つの問いが浮かんだ。

私は、何が怖いのか?

全部怖い。

お金がないことも怖い。 体が動かなくなることも怖い。 知的に衰えることも怖い。 時代に置いていかれることも怖い。

でも、一番怖いのは何だろう?

考えた。


もし次のうち一つだけ起きるとしたら

もし次のうち一つだけ起きるとしたら、どれが一番嫌だろう?

お金は十分あるが、身体がボロボロで挑戦できない

身体は元気だが、お金がなくて選択肢が狭い

お金も身体もあるが、知的好奇心が枯れている

すべてあるが、組織や他人に決定権を握られている

考えた。

しばらく考えた。

そして気づいた。

私が一番嫌なのは、 「身体は元気なのに、お金がなくて選択肢が狭い状態」 だった。

でも同時に思った。 「体が動けば、まだ何かできそうな気もする」


気づきの瞬間

ここで、何かが見えた。

私が怖いのは「完全に詰むこと」じゃない。

動けるのに動けない状態。 能力があるのに選べない状態。

それが怖いんだ。

働きたいのに、仕事を選べない。 挑戦したいのに、リスクを取れない。 正しいと思う判断があるのに、できない。

これが、不自由だ。

そして気づいた。

私が欲しかったのは「自由」ではなかった。 本当に避けたかったのは「不自由」だった。


もう一つの気づき

さらに気づいたことがある。

「自由を増やしたい」のか 「不自由を避けたい」のか

この二つは、似ているようで全く違う。

「自由を増やす」は際限がない。 もっと、もっと、となってしまう。

「不自由を避ける」は明確だ。 避けたい状態を定義すれば、そのための準備ができる。

私にとって投資は、 「拡張」ではなく「制約回避」だった。

ここで、投資の意味が変わった。


第3章:投資の再定義

私にとって投資とは何か

ここまで考えて、やっと言葉にできた。

私にとって投資とは、将来の不自由を避けるための資源配分である。

金融投資は、経済的不自由を避けるため。 筋トレは、身体的不自由を避けるため。 学習は、知的不自由を避けるため。

すべて同じ構造だった。

そして、これで最初の違和感が消えた。

お金だけが資源じゃない。 時間も体力も脳も、すべて資源だ。

それらをどこに配分するか。 それが投資だった。


不自由の惨めさ

では、私が避けたい不自由とは具体的に何か?

経済的不自由とは、こういうことだ。

嫌いな上司に頭を下げ続けなければならない屈辱。 良心を捨てて保身の嘘をつく自分への嫌悪感。 家族のために、魂を売る自分。

「本当はこの仕事を辞めたいのに、辞められない」 「挑戦したいことがあるのに、リスクを取れない」 「正しいと思わない判断に、加担せざるを得ない」

身体的不自由とは、こういうことだ。

やりたいことがあるのに、体力がない。 健康に不安があって、動けない。 挑戦したいのに、体がついていかない。

知的不自由とは、こういうことだ。

情報はあるのに、判断できない。 思考が鈍って、選択肢が見えない。 新しい状況に対応できず、取り残される。

これらの惨めさを避けるための準備が、投資だと思った。


なぜ「余白」が必要なのか

部長時代に見た光景を思い出す。

判断を歪ませるのは、悪意ではない。 余白のなさだった。

経済的余白がなければ、保身に走る。 身体的余白がなければ、挑戦できない。 知的余白がなければ、思考停止する。

逆に言えば、 余白がある人の方が、責任ある判断をしやすいんじゃないか。

投資とは、その余白をつくる行為だと思う。

では、具体的に何をすればいいのか。

私がやってきたことを書いてみる。


第4章:4つの不自由を避ける投資

経済的不自由を避ける投資①:自己投資

投資と聞くと、多くの人は金融投資を思い浮かべると思う。

でも、私が最初に挙げるのは自己投資だ。

なぜなら、振り返ってみると、最もリターンが高かったから。


28歳のベンチャー時代――わからない中で走る

28歳、私はベンチャー企業に飛び込んだ。

きつかった。

業務量、初めてやる仕事、暗中模索。 「どうすればいいかわからない」中で、 全力で考えながら作業する日々。

マーケティングという分野に初めて触れた。 やり方もわからない。 正解もわからない。 でも、やるしかない。

当時は必死だった。 「これが将来の投資になる」なんて考える余裕もなかった。

ただ、目の前の仕事を、 わからないなりに全力でやるしかなかった。

でも、今振り返ると、 あの暗中模索があったから今があると思う。


41歳のフリーランス――わかるからこその怖さ

41歳、フリーランスになった。

もちろんきつい。

「仕事が来るか?」という不安もある。 でも、正直に言うと、一番怖いのはそれじゃない。

プロとして受けた仕事が、期待値に達するか。

わかっているからこそ、怖い。

クライアントが何を期待しているか、わかる。 市場がどう動いているか、わかる。 1円の重みがわかる。

だからこそ、「これで届くのか?」というプレッシャーがある。

期待値調整も全力でやる。 クライアントと何度も擦り合わせる。 それでも、届くか?という不安は消えない。

見積もりを出す時、手が震える。 この金額で、本当に期待に応えられるのか。

28歳は、わからないから怖くなかった。 41歳は、わかるから怖い。


自己投資の本質

28歳の暗中模索があったから、 41歳の「わかる怖さ」に、何とか耐えられている。

「全力で考えながら作業する」基礎体力。

それが、ベンチャー時代に身についたんだと思う。

自己投資とは、こういうことかもしれない。

資格を取ることでも、 セミナーに参加することでもなく。

プレッシャーの中で、わからないことに向き合い、全力で考え抜く経験。

それが10年後、20年後の「稼ぐ力」になる。

書籍購入も大事だと思う。 でも、プレッシャーの中で得た実務経験には敵わなかった。


ブログは「考える筋力」を維持する装置

もう一つ、私が続けている自己投資がある。

ブログ運営だ。

ブログは収入源でもあるが、それ以上に自己投資だと思っている。

なぜなら、常にアップデートが必要だから。

投資の知識、心理学の知識、マーケティングの知識。 それらを学び、思考し、言語化する。

このプロセスが、仕事にも還元されている。

インプット→思考→アウトプットのサイクル。

これを回し続けることで、 「全力で考える筋力」を維持できている気がする。

フリーランスの仕事でも、この筋力が支えになっている。


人脈投資の落とし穴――浅ましい下心と詐欺の誘い

自己投資で忘れてはいけないのが、人脈だと思う。

人脈は役に立った。 知り合いから仕事を依頼されたことが、フリーランス転身のきっかけにもなった。

でも、正直に言うと、失敗も多かった。

時間の無駄も多かった。

「とりあえず会っておけば、何かあるかも」 「この人から仕事がもらえるかも」

そんな浅ましい下心で広げた人脈は、ほとんど意味がなかった。

時間だけが過ぎていった。

それどころか、 詐欺の仕事を手伝わされそうになったこともある。

「すごい儲け話がある」 「一緒にやらないか」

最初は善意だと思った。 でも、よく聞くと怪しい。

断ったが、時間を無駄にした。 そして、自分の判断力のなさに愕然とした。

「つながり」は無条件に価値があるわけではない。

今なら言える。 つながりも、選ばないといけないんだって。

「会っておけば何かあるかも」は、投資ではなく浪費だった。

自己投資にも「損切り」が必要だと学んだ。

無駄な人間関係は、時間という資源を奪う。 「不自由を避ける」には、無駄な人脈も避けるべき対象だと思う。


経済的不自由を避ける投資②:金融投資

自己投資で稼ぐ力を高める。 次に、金融投資でそれを守る・増やす。

順番が大事だと思った。

まず稼ぐ、次に増やす。

稼ぐ力がなければ、金融投資の元本も小さい。 自己投資のリターンは、金融投資よりはるかに大きかった。

特に若い時期は、自己投資に資源を集中した方がいいと思う。


なぜ自己投資だけでは足りないのか?

自己投資で稼ぐ力を高める。 これは間違いない。

でも、それだけでは足りない。

なぜなら、稼ぐ力は「時間」に依存するからだ。

40代で稼げても、60代で稼げるとは限らない。 病気になれば、稼げない。 市場が変われば、スキルが陳腐化する。

フリーランスになって、これを痛感した。

自分が動かなければ、収入が止まる。 これは、別の形の「不自由」だと気づいた。

体調を崩した週、収入がゼロになった。 それを見て、恐怖を感じた。

「これでは、また別の依存が生まれる」


金融投資は「時間を売らずに稼ぐ装置」

金融投資は、保険だと思っている。

自分が動かなくても、資産が働く。 病気で寝込んでも、市場が変わっても、 資産は働き続ける。

これが、真の「不自由を避ける」ための保険になる。

自己投資で「攻め」、金融投資で「守る」。 両方が揃って、初めて経済的余白ができる。


ワクワクへの参加としての金融投資

もう一つ、金融投資には別の意味があると思っている。

自分には思いつかなかったビジョン。 ワクワクするけど、自分にはできないこと。

それに、お金で関わりたい。

例えば、AI企業への投資。 私には開発できないが、その未来にかけたい。

電気自動車、再生エネルギー、宇宙開発。 自分ではできないが、応援したい。

金融投資は、他人の挑戦を支え、 その成果を共有する装置でもある。

これも、一つの「自由」だと思う。

自分の時間と能力だけではできないことに、 お金を通じて参加できる。


積立投資と固定費の最適化

私の金融投資はシンプルだ。

・積立投資(インデックスファンド中心、一部AI関連株) ・固定費の最適化

複雑な戦略はいらないと思っている。 目的は「経済的余白をつくること」だから。

ギリギリにしない。 余白を持つ。

それが、責任ある判断を支えてくれる。


身体的不自由を避ける投資:筋トレ

週2回、筋トレをしている。

なぜ筋トレか?

動ける体を維持するため。

フリーランスは、体が資本だ。 体調を崩せば、収入が止まる。

でも、それ以上に大事なのは、 「やりたいことがあるのに、体力がない」 という不自由を避けることだと思っている。

50代、60代になっても、 挑戦したいことがあるはずだ。

そのとき、体が動かなければ意味がない。

「挑戦したいのに、体がついていかない」

これほど惨めなことはない。

筋トレは、未来の選択肢を守る投資だと思う。


知的不自由を避ける投資:読書と思考の更新

月10冊、本を読むことをタスクにしている。

正直、きつい。

でも、やらないと思考が鈍る恐怖がある。

読むだけでは意味がない。 ブログで言語化する。 仕事で実践する。

1冊の本と1ヶ月対話し、ブログで血肉化するまで吐き出す。

インプット→思考→アウトプットのサイクル。

これを回し続けないと、 「情報はあるのに、判断できない」状態になる。

それが、知的不自由だ。

月10冊がベストかはわからない。 でも、少なくとも「月1冊でいい」とは思えなかった。

思考の更新は、投資であり、保険でもある。

新しい状況に対応できなくなる。 市場の変化についていけなくなる。 クライアントの期待に応えられなくなる。

知的に衰えて、取り残される。

それを避けるために、読み続ける。


第5章:読者への問い

あなたが避けたい”不自由”は何ですか?

ここまで読んで、 「で、何をすればいいの?」 と思った方もいるかもしれない。

正直、私もまだ答えは出ていない。 理想には程遠い。

でも、一つだけわかったことがある。

「なんとなく不安だから投資」では続かなかった。 「この不自由だけは避けたい」が見えたとき、やっと動けた。

だから、もしよければ一緒に考えてみませんか?

あなたが一番避けたい”不自由”は何ですか?

嫌いな上司に頭を下げ続ける屈辱? 良心を捨てて保身の嘘をつく自分への嫌悪? 家族のために、魂を売る自分?

体が動かず挑戦できないこと? 知的に衰えて思考が鈍ること? 新しい状況に対応できず、取り残されること?

ここが見えると、やるべきことが見えてくると思う。


私がやってきたことは3つだけ

参考までに、私がやってきたことを書いておく。

① 不自由を言語化する

漠然とした不安を、具体的な恐怖にする。

「老後が不安」ではなく、 「65歳で働けなくなったとき、嫌いな人間に頭を下げなければならない状態が怖い」

「体力が落ちるのが不安」ではなく、 「50代で新しいことに挑戦したいのに、体がついていかず諦める自分が怖い」

具体的にすると、対策が見えてくる。


② その不自由を避けるための装置を持つ

経済的不自由 → 自己投資・金融投資・固定費の最適化 身体的不自由 → 週2回の筋トレ習慣 知的不自由 → 月10冊の読書とブログでのアウトプット

小さくていい。 仕組みにする。

「やる気」に頼らない。 習慣にする。

これが続けるコツだと思う。


③ 余白をつくる

貯金も、体力も、知識も「ギリギリ」にしない。

今でも余白は足りないと思う。 理想には程遠い。

でも、少しずつ、 「お金がないから諦める」 「体力がないから挑戦できない」 「思考が鈍って判断できない」 という状況は減ってきた。

それだけでも、投資をしてよかったと思う。


やらないと、不自由は近づいてくる

ここまで読んで、 「そのうちやろう」と思った方へ。

少し厳しいことを言うかもしれない。

「そのうち」は来ないかもしれない。

余白がなくなってからでは遅い。 判断が歪んでからでは遅い。 魂を売ってからでは遅い。

部長時代に見た人たちは、 みんな「そのうちやろう」と思っていたと思う。

でも、気づいたときには、 嫌いな上司に頭を下げ続けなければならない状態になっていた。

明日のあなたは、彼らと同じかもしれない。

投資を始めるのに、遅すぎることはないと思う。 でも、早い方がいい。

余白があるうちに、余白をつくる。 それが、投資だと思う。


結び:投資とは、責任を守るための準備

私は働くのが嫌いではない。 むしろ好きだ。

だが、仕事は選びたい。 会う人も、時間の使い方も、挑戦も、自分で決めたい。

そのために投資をしている。

投資とは、他人に人生を決められないための準備だと思う。

そしてそれは、 責任ある判断をし続けるための余白づくりだと思う。

部長時代に見た光景を、私は忘れられない。

余裕がなければ、判断は歪む。 依存があれば、責任は取れない。 誰でも、保身に走る。 誰でも、魂を売る。

私は、自分の判断に責任を取りたい。 ユーザーのため、サービスのための判断をしたい。

そのために、余白をつくる。

まだまだ足りない。 でも、少しずつ進んでいる。

今日も私は、未来の不自由を一つ減らすために投資をする。

それが、明日の自分を支える。 そして、誰かのために責任ある判断をする力になると信じている。

あなたは、どんな不自由を避けたいですか?

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